現地人材の活用で海外工場を統括するシマノシンガポール
主力のスポーツ自転車用部品で世界シェアトップ。あらゆるメーカーの自転車のギアやブレーキなどの中核部品に採用されていることから、“自転車業界のインテル”と呼ばれる——それがシマノだ。
特に自転車スポーツが盛んな欧米市場での評価は高い。最高峰の自転車ロードレースのツール・ド・フランスでは、その信頼性から選手の7割以上が同社の部品を搭載しているとも言われ、いまや海外売り上げが9割を占める。
2021年まで20年にわたり5代目として社長を務め、現在は会長の島野容三氏はこう話す。
「シンガポールへの進出は、1965年にアメリカ、1972年に欧州に販売拠点を置き、輸出が増えてきたことがきっかけでした。販売だけでなくものづくりもグローバル化させるため、東南アジアのどこかに海外工場をつくろうという話になったのです。それで当時社長だった父(2代目の島野尚三氏)がさまざまな場所を見て回り、政情や経済が最も安定していたシンガポールに決めました。1973年、シンガポールが建国して8年で進出したので、シンガポールがまだ若いころからともに歩んできたことになります」
シンガポール南西部のジュロン工業団地に1973年、シマノ初の海外工場は建てられた。自転車部品の製造でみるみるノウハウが蓄積し、生産技術はいつしか日本の工場に劣らないレベルに到達した。さらに、製品の品質を大きく左右する金型について、日本と同じ製造設備が唯一シンガポール拠点に導入されて以降は、日本のものと寸分違わない製品をつくれるまでになった。
そうしてシマノシンガポールは、海外工場を統括するようになる。1990年以降、シマノはマレーシア、インドネシア、フィリピン、チェコ、中国(2カ所)で合計6つの海外工場を建てたが、「資金的にも人的にも、さらには技術的にもシンガポール拠点が核」になった。シマノシンガポールから出資し、ラインの立ち上げや技術移転、人材の育成など多くの支援のほか工場運営も、シマノシンガポールの社員が中心となり行ってきたのだ。
というのも、シンガポール人の多くは英語や中国語などアジア圏で使われる広い言語が堪能で、世界各地の工場のスタッフと円滑にコミュニケーションが取れることは、日々オペレーションをするうえでプラスだった。その優位性を活かしてシンガポール拠点は、生産のグローバル化の足がかりとなったのだ。
「我々は、シンガポールの人を信頼し、積極的に現地の人材を採用しながらシンガポールで腰を据えてものづくりを続けてきたのですが、それが功を奏しました。社員たちに『世界をリードするのは君たちだ。ここでがんばれ』とメッセージを送り続けるうちに、個々の能力が開花しました。優秀な人材に恵まれてきたからこそ、シンガポール拠点はここまで発展したのです」