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IHIによる持続可能な航空燃料(SAF)の開発—ネットゼロ実現をシンガポールから世界へ

IHIによる持続可能な航空燃料(SAF)の開発—ネットゼロ実現をシンガポールから世界へ

環境目標「シンガポール・グリーンプラン2030」を掲げるシンガポールでは、航空業界においてもネットゼロ実現に向けた取り組みを進めている。その流れのなかで政府は2024年に行動計画「持続可能な航空ハブ・ブループリント」を発表し、国内外の航空路線の温室効果ガス排出量を2050年までに実質ゼロにすることを目標に掲げた。その達成に貢献する重要な研究の一つが、IHIがシンガポール科学技術研究庁(A*STAR)傘下の研究機関であるISCE²化学・エネルギー環境持続可能性研究所(ISCE²)と共同で取り組むSAFの製造技術の開発だ。SAFの魅力と導入へのハードル、そしてシンガポールに研究拠点を置く理由とは—IHIに話を聞いた。

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SAF普及を加速する試験装置がシンガポールに完成 

重工業大手のIHIは2025年1月、シンガポールのA*STAR 傘下のISCE²施設内に新たな試験装置を設置した。

この装置は、工場などから排出されるCO₂や大気中のCO₂を回収・有効活用するCCU(Carbon Capture and Utilization)技術を用いた、持続可能な航空燃料(SAF=Sustainable Aviation Fuel)の製造技術に関するものだ。SAFの触媒(化学反応を促す物質)の性能や耐久性評価に加え、SAF製造設備の最適化などプロセス全体の検証を進めることができ、IHI が取り組むSAFのプロジェクトの商用化、SAFの普及に向け大きな前進を遂げた形となる。 

IHIの技術開発本部 技術企画部 SAF企画グループの橋本康氏はこう語る。 
「試験装置の設置にともないセレモニーを開催したところ、コラボレーションを検討したいといった他社からの問い合わせが相次ぎ、ありがたく思っています。これは、シンガポールに多くのグローバル企業が拠点を構え、人材や企業のつながりが豊富で、強固なネットワークがあることが大きな要因だと考えます。ビジネスの話を持ちかけると、関心を持つ企業や人がすぐに対応してくれる土壌があるのです」 

シンガポールは、世界をリードする航空宇宙企業の本拠地であり、アジア最大級で最も多様な航空宇宙エコシステムの一つを有する。研究開発、製造、MRO(メンテナンス・修理・オーバーホール)、アフターマーケットサービス、地元の中小企業サプライヤーなど、130社以上の航空宇宙関連企業が拠点を構えている。 

SAF企画グループの黄健氏は次のように続ける。 
「シンガポールは東南アジアの中心に位置し、交通の利便性も高く、シンガポールだけでなく東南アジア全体の潜在的なパートナーに新技術を紹介しやすい環境にあると思います」 
 

技術開発本部 技術企画部 SAF企画グループ 主幹 兼 航空・宇宙・防衛事業領域 民間エンジン事業部 技術部 第2プロジェクトグループ 主幹 橋本 康氏

技術開発本部 技術企画部 SAF企画グループ 主幹 兼 航空・宇宙・防衛事業領域 民間エンジン事業部 技術部 第2プロジェクトグループ 主幹 橋本 康氏


CO₂と水素から作るクリーンな航空燃料SAF 

気候変動がグローバルな課題となるなか、国内外のインフラ整備に長年携わってきたIHIは、再生可能エネルギーを活用した発電設備や、エネルギー効率を高める製造設備の開発など、ネットゼロ実現に向けた取り組みを続けてきている。 

 その一環として、現在シンガポールで開発を加速させているのが、SAFの製造技術だ。シンガポールで開発を進める背景について、SAF企画グループ長の奥野真也氏はこう語る。 
「IHIは2011年から、ICES(現ISCE²)と、CO₂と水素からメタンを作るメタネーション技術の開発を共同で行い、商用化に成功しました。その関係を継続し、2022年にISCE²とSAFの共同研究を開始しました。航空機のジェットエンジンは我々の主力事業の一つなので、航空業界の持続可能な発展に貢献したいという思いがあったのです」 

従来の化石燃料に代わる環境負荷の少ないSAFは、ネットゼロ実現の要とされ、いくつかの製造方法がある。 

IHIが開発するのは、そのうちPower to Liquid(PTL)と呼ばれる技術で、CO₂と水素を合成して航空燃料を製造する。再生可能エネルギーを活用して水素を生成することでCO₂排出量を大幅に抑えられ、さらに、空気中のCO₂を活用すれば、原材料が枯渇する心配もない。加えて、PTLによる製造を含むSAFは、従来の航空燃料と混合して使用できるため、当面使用が続く既存の航空機やインフラを活用できるというメリットもある。  
 

コスト削減のカギとなる触媒開発に約3カ月で成功 

一方で、SAFの普及にはコスト削減が課題となる。製造コストを抑えるためには、製造プロセスの効率化が不可欠であり、IHIとISCE²は、化学反応の効率を上げる触媒の開発に取り組んでいる。  
 

IHIとISCE²による研究の模様。左からIHI ASIA PACIFIC PTE. LTD. 佐藤研太郎マネージャー、ISCE²Lim San Huaプロジェクト主任研究員

IHIとISCE²による研究の模様。左からIHI ASIA PACIFIC PTE. LTD. 佐藤研太郎マネージャー、ISCE²Lim San Huaプロジェクト主任研究員


触媒とは、化学反応を促進させ、CO₂と水素の反応を助ける物質だ。IHIとISCE²は研究を始め約3カ月で開発を成功させ、実験室でのラボ試験において世界トップレベルの26%という液体炭化水素収率(原料から生成される燃料など液体炭化水素の割合)を達成した。 

開発がスピーディーに進む理由について、奥野氏はこう説明する。 
「SAFの開発に先立ち、ISCE²の前身であるICESと、CO₂と水素から樹脂やプラスチックの原料となる低級オレフィンを生み出す研究を行いました。その過程で開発した触媒を応用するかたちでSAF向けの触媒を設計したため、スムーズに開発を進めることができました。ISCE²とはこれまで、メタネーション、低級オレフィン、SAFの3つの分野で共同研究を行ってきましたが、その技術力と研究レベルの高さには驚かされています」 

黄氏は、シンガポールに赴任した経験からこう話す。 

「シンガポールは多民族国家で、研究機関にも中華系、インド系、マレー系など多様なバックグラウンドや経験を持つ人材が集まっています。そのため、活発なディスカッションを通じて研究がスピーディーに進みます。若い研究者が多く、挑戦することに前向きで、エネルギーにあふれているのも特徴です」 

触媒開発は、IHIの研究員2人がシンガポールに常駐し、ISCE²の研究者とともに進めてきた。一方、日本のチームは、触媒を実用化するための装置や製造プロセスの設計を担当し、シンガポールと日本のチームが綿密に連携しながら、SAFの製造技術開発のプロジェクトを推進してきた。 

「日本とシンガポールは時差がほとんどないため、オンラインミーティングを頻繁に行うことができます。その結果、スムーズなコミュニケーションが可能となり、これも開発が順調に進む要因の一つになっています」 

そのように奥野氏は評価し、橋本氏は、日本国外で研究を行うメリットについてさらに語る。 
「IHIの海外の現場はある程度独立し、裁量権を持って柔軟に動くことができます。そのため、シンガポールの現場は、​敏速に​意思決定​を行うことが可能であり、非常に効率的に業務を進められる​と感じ​てい​ます」 
 

(左) 技術開発本部 技術企画部 SAF企画グループ グループ長 奥野 真也氏 (右) 技術開発本部 技術企画部 SAF企画グループ 主査 黄 健氏

(左) 技術開発本部 技術企画部 SAF企画グループ グループ長 奥野 真也氏 (右) 技術開発本部 技術企画部 SAF企画グループ 主査 黄 健氏


サイエンスエコシステムの活用で2030年商用化を目指す 

国連の専門機関である国際民間航空機関(ICAO)は2022年、「2050年までに国際航空のネットゼロを達成する」とする長期目標を採択している。こうした国際的な規制強化を受け、航空業界ではSAFの導入が急務となっている。特に、アジア太平洋地域は世界最大の航空セクターであり、目標の達成には、この地域の積極的な貢献が不可欠である。 

そしてIHIは、その実現に向けた次なるステップとして、実際の運用環境に近い条件で稼働するデモンストレーションプラント建設に向けた検討をスタートした。2027​〜​​     ​2028年の運用を目標に、航空会社やエネルギー企業などのパートナー企業との協力を模索し、対話を進めている。

さらに、2030年の商用化を目指し、シンガポール貿易産業省(MTI)やシンガポール経済開発庁(EDB)などの政府機関と連携し、パートナーシップ支援を受けるなどしている。 

今後の取り組みに向けて、奥野氏はこう語った。 
「ICAO によると、2050年にはEU(欧州連合)のジェット燃料の需要の6〜7割ほどをSAFが賄うとされています1。特に、IHIが開発するPTLの技術は、原材料の供給に制限がないことから、従来の化石燃料の代替として有望視されています。その期待に応えるためにも、商用化に向けて全力で取り組んでいくつもりです」 
 


Stocktaking 2021 - Synthetic Fuels for Aviation
 

Test Rigの開所式。 左からDr. Ng Wai Kiong, Executive Director of ISCE2, ASTAR; Prof. Lim Keng Hui, Assistant Chief Executive Officer of the Science & Engineering Research Council, ASTAR; Prof. Yeo Yee Chia, Deputy Chief Executive (Innovation & Enterprise), A*STAR; IHI常務執行役員 技術開発本部長 久保田 伸彦; IHI ASIA PACIFIC PTE. LTD. CEO 小林 広樹; IHI技術開発本部副本部長 松澤 克明

Test Rigの開所式。 左からDr. Ng Wai Kiong, Executive Director of ISCE2, ASTAR; Prof. Lim Keng Hui, Assistant Chief Executive Officer of the Science & Engineering Research Council, ASTAR; Prof. Yeo Yee Chia, Deputy Chief Executive (Innovation & Enterprise), A*STAR; IHI常務執行役員 技術開発本部長 久保田 伸彦; IHI ASIA PACIFIC PTE. LTD. CEO 小林 広樹; IHI技術開発本部副本部長 松澤 克明

SAF開発に関わったIHIグループの関係者およびISCE2のメンバー

SAF開発に関わったIHIグループの関係者およびISCE2のメンバー

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