▼シンガポールの化学産業の概観を教えてください。
「シンガポールの化学産業は製油所からクラッカー、石油化学製品、特殊化学品にいたる非常に長いバリューチェーンを持っている。また、化学企業の活動は製造からイノベーション、研究開発、本社機能など多岐にわたり、多くの企業が製造をジュロン島で行っている」
「シンガポールの国内総生産(GDP)において毎年約20〜25%を製造業が占めており、通常、そのうち約4分の1がエネルギー・化学製品生産によるものだ。そのほかにはバイオメディカルや医薬品、電子機器などがある。シンガポールは多様な経済を持つべきだと考えているので、そのなかで化学産業はあるべき姿にある」
「化学企業は今なおシンガポールに投資している。日本の化学企業の例では最近、三井エラストマーズシンガポールが新規拡張工事の起工式を行った」
▼米中対立、また半導体や電池で顕著なグローバルサプライチェーンの再編は、シンガポールの化学産業にどのような影響を与えるとみていますか。
「考慮すべき点がいくつかある。米中関係や、コロナ禍からの教訓により、強固で回復力のあるサプライチェーンの必要性が高まっている。シンガポールは貿易のつながりを維持し、港を開き続けることを約束した。コロナ禍の最中も製造活動を促進し続けた。シンガポールの観点から、物理的および貿易上の連結性の維持は非常に重要だ」
「化学企業にとっても、シンガポールは強靭なサプライチェーンを管理・計画するのに適した場所だと思う。米中には、シンガポールに限らず誰もが安定した建設的な関係を持ってもらいたいと考えている。同時に、両国の間で起こっていることに照らして、企業がどのように商機をつかむか考えることを奨励したいと思っている」
▼サプライチェーンの現地化(ローカリゼーション)はシンガポールの製造業にどのような影響を与えますか。
「一つの工場から世界へ供給していたものを、いくつかの工場から各地域に供給する形に変更するなど、サプライチェーンの調整を考えている企業はあるかもしれない。おそらく中国をはじめいくつかの国では、ある種の自給自足を実現したいと思っているだろう。シンガポールで中国市場に向けてだけ生産している企業があれば、今後の戦略について検討する必要があるかもしれない」
「しかし化学品、とくに特殊化学品について考えると、すべてのローカル市場がそれぞれ工場を持つことはスケールメリットがなく不可能だ。ハブで行うことと、各地で行うことの適切なバランスを見いだす必要がある」
▼シェルがシンガポールの製油所や化学工場を対象に、売却や運用停止を含めた「戦略的再検討」に入ったと発表しました。
「シェルは現在もシンガポールのエネルギー転換を支援しており、シンガポールにとって長年にわたる大切なパートナーだ。まだ決定は下されていないと理解しているので、この件でEDBがコメントすることは適切ではない。結果がどうであれ、シンガポールはエネルギー・化学産業が競争力のある持続可能な産業となるよう、日本企業、グローバル企業、地元企業などさまざまなプレーヤーと協力し、企業の革新や計画を支援するパートナーとして力を尽くす」
<特殊化学品でトレンド追求>
▼シンガポール政府は昨年、エネルギー・化学分野の新しい「産業変革マップ」(ITM)を公表しました。
「政府はエネルギー・化学分野に限らず、23業種すべてのITMを更新した。従来の計画が折り返したところで、妥当性を確認した。エネルギー・化学分野にとって重要なことは、エネルギー転換と持続可能性への移行であり、この分野の脱炭素化の方法と、エネルギー転換により生まれる機会とは実際何かということだ。検討した内容は『持続可能なジュロン島』(21年に公表されたエネルギー・化学産業の集積地であるジュロン島を持続可能な拠点とするためのシンガポール政府の計画)について話したことと重なっていて、新しいITMはこの産業をより持続可能な製品を持続可能な方法で生産するものに変革するための戦略となる。目標の一つに、2030年までに19年対比で持続可能な製品を1・5倍とすることを掲げている。持続可能な製品とは、バイオベースあるいは再生可能な原料を使ったものや、使用によって炭素排出量の削減に役立つものを指す」
「新しいITMに向けて話し合ったもう一つのことは、特殊化学品によって中間層の拡大や新しい持続可能性のトレンドをとらえることだ。『栄養と農業』『衛生と健康』『スマートマテリアルズとモビリティ』『持続可能性』の4つに焦点を当てている。これらはわれわれが機会を追求し続けたい重要なセグメントで、製造であれイノベーションであれ、企業と一緒に取り組んでいきたい。こうした仕事を引き受ける労働力を用意し、企業をサポートするため労働力の開発にも取り組んでいる」
▼シンガポール政府が特殊化学品に焦点を当てる理由は。
「シンガポールは化学品のバリューチェーンのすべてに関心を持っているが、特殊化学品には多くの技術と知的財産の保護、独自の熟練した労働力が求められ、それらがシンガポールにはある。それは企業と協力してわれわれが追求し続けてきたものだ。特殊化学品の領域には今後、より多くの成長の機会があり、顧客は持続可能性のためにより多くの革新と、特殊な機能を持つ、よりハイエンドでさまざまな種類の特殊な製品を求めている。そしてシンガポールには、ここでその機会をとらえたいと考えている企業に提供できるものがある」
<イノベーションに積極投資>
▼シンガポールの化学産業にはどのようなビジネスチャンスがありますか。
「シンガポールでは、化学産業が国内市場だけのものであったことはなく、ここから他の市場や地域に参入するため、常に目を外に向けることができる。そしてエネルギー転換などのメガトレンドがドライバーとなって、より多くの需要を生み出すことがみえてくる。例えば、より多くの太陽光パネルや風力発電用のタービンが必要で、そこにはたくさんの素材や化学品が用いられる。電気自動車を軽くしたり、電池の発火を抑えたりするのに必要になるのも素材や化学品だ。高度な技術と製造のノウハウが求められる。われわれはこの領域で、企業により多くのビジネスチャンスをもたらしたいと考えている」
「企業と協力できるように、イノベーション能力の構築に多くの投資を行ってきた。A*STAR(シンガポール科学技術研究庁)では『化学・エネルギー環境持続可能性研究所』(ISCE2)を設立している。この名が表している分野で、ぜひ企業と協力したい。政府もイノベーションに予算を割いている。例えば『低炭素エネルギー研究』プログラムでは、とくにCCU(CO2の回収・利用)、低炭素アンモニアの分野で実際に産業界と協力している」
<再エネなど日本企業に期待>
▼化学産業をどのように支援していますか。
「化学業界で関心が高い、エネルギー効率の改善に向けた助成金や支援プログラムを用意している。実際、多くの日本の化学企業が利用している。電力セクターを脱炭素化する方法も検討している。現在、電源を石炭から切り替え、ほとんどを最もクリーンな化石燃料である天然ガスで賄っている。シンガポールは再生可能エネルギー源に乏しい。そのためエネルギー市場監督庁(EMA)は、低炭素・再生可能電力の輸入を検討している」
▼日本の化学産業への期待は。
「日本の化学業界とは長い歴史があり、化学産業の立ち上げを支援してくれた企業もある。気候変動、持続可能性、そして50年までにネットゼロを実現するというシンガポールの目標などについて緊密に協力して、より持続可能な未来に移行し、グリーン経済から新たな成長の機会をつかみたいと考えている。より持続可能な製品をシンガポールから競争力のある形で生産し、イノベーションも実行したい」
(聞き手=豊田悦史)
出典:「化学工業日報」2023年9月25日付け 14面