シンガポールの経済発展を後押ししてきた日本企業
1965年にマレーシアから独立したシンガポールは、1966年4月26日、日本と外交関係を樹立した。この55年間で強固な関係を構築してきた両国。現在では約3万6,000人の日本人がシンガポールで暮らし、近ごろではシンガポールを訪れる日本人の年間訪問者数は80万人を超えている(コロナ前)。
日本とシンガポールの外交関係が樹立して今年で55年。互いに支え合い歩んできた両国間には、友好的かつ強力的な関係が築き上げられており、数多くの日本企業もシンガポールに進出している。過去から現在に至るまで、進出日系企業はシンガポールのビジネス環境や研究開発インフラを活用し、どのように事業を展開してきたのか。日本企業のシンガポールでの成功の軌跡を中心に、日本とシンガポールの55年を辿る。
シンガポールの経済発展を後押ししてきた日本企業
1965年にマレーシアから独立したシンガポールは、1966年4月26日、日本と外交関係を樹立した。この55年間で強固な関係を構築してきた両国。現在では約3万6,000人の日本人がシンガポールで暮らし、近ごろではシンガポールを訪れる日本人の年間訪問者数は80万人を超えている(コロナ前)。
そして、両国間の状況として特筆すべきは、日本からの投資が多いということだ。非製造業や食料品製造業の直接投資を中心として、2017年のシンガポールから日本への投資額はアジア首位で、累積外国投資額も第4位というように、日本とシンガポールとは経済の面での関わりも深い。
とりわけ、日本企業が大きな役割を果たしたのは、シンガポールの初期の経済発展においてだった。古くからシンガポールで活動する企業は、1963年にシンガポールに現地法人を設立した日立製作所。さらに、1966年にシンガポールに初進出した三井物産は、科学技術研究の支援を行う政府機関・シンガポール科学技術研究庁(A*STAR)などと連携し、シンガポールで世界に向けさまざまな活動を行っている。
ほかにも、1976年に時計や精密機器、産業用ロボットなどを製造する工場を開設したセイコー。この開設の際には、リー・クアンユー首相(当時)が主賓として招かれた。1977年にシンガポール初の石油化学プロジェクトを立ち上げた住友化学。1977年に現地法人を設立したNEC。80年代と90年代に2つの製造工場を設立した富士石油などが挙げられ、現在、シンガポールに進出している日本企業は約5,000社もある。
研究開発やイノベーションの場としての魅力
それら進出日系企業の間では、近年、研究開発施設やイノベーションセンターをシンガポールに設置する動きが加速。シンガポールの優れたイノベーション・エコシステムを活用して、新しい製品やサービス、ビジネスを次々に生み出している。
例えば、医薬品メーカー・参天製薬は、シンガポールの国立研究所・シンガポール眼科研究所(SERI)と提携し、2014年から眼科疾患の共同研究に取り組んでいる。現在は3,700万SGDを投じ、アジア地域で流行している疾患について新たな眼科技術の開発を重点的に行っているところだ。
また、1974年にシンガポールに進出した計測・制御・情報技術などの製品やソリューションを提供する横河電機は、2016年、コ・イノベーションセンター(Co-innovation Centre)を開設。新たなデジタルソリューションを開発するとともに、最先端のデジタル技術を体験できる場を顧客に提供している。
アジアの地域統括拠点としての優れた機能
アジア各地とのアクセスに優れ、アジアの地域本社の設置にも適しているシンガポール。近年マーケットとしてアジアの重要性が高まるなか、シンガポールに拠点を置く多くの日本企業がアジアでのビジネスを軌道に乗せている。
その一社が化粧品メーカー・資生堂だ。2016年、シンガポールに地域本社・資生堂アジアパシフィックを立ち上げた。2019年に拠点をさらに拡張し、アジアの消費者に特化した新製品を開発するための施設や、年間2,000人の業界関係者が育成可能な美容ビジネスやマネジメントスキルを学べる専用研修施設を併設。拠点の設置により、成長市場であるアジアの消費者のニーズや好みをより深く把握し、まさにマーケティングの現地化を進めることに成功しているのである。
先端製造技術の導入が進む国内工場
シンガポールは、先端製造技術の導入にいち早く取り組み、世界の企業の主要産業ハブとしてのポジションを強化している。加えて、メーカーのデジタル化の取り組みの支援などにも注力していることから、先端製造拠点をシンガポールに設置する日本企業も増えてきている。
例えば、金属材料・機能部材メーカー・日立金属と、A*STARの研究機関・シンガポール製造技術研究所(SIMTech)は、金属積層造形の技術開発のための研究組織を2018年に共同で開設。オープンイノベーションを促進し、市場をリードする製品やソリューションを生み出すことが今後期待されている。
シンガポール企業の日本進出の事例
一方で、シンガポール企業にとっても日本の市場は魅力的であり、近年、日本に進出する企業も少なくない。
プラスチックを製造販売するシンガポール企業のオムニ・プラス・システム・リミテッドもそんな一社だ。2021年6月、シンガポール企業として初めて東証マザーズに上場し、日本での活動を拡大している。
また、世界30カ国190都市以上で宿泊施設を運営・開発するアスコットは、2002年に日本に進出。既に東京、京都、大阪で宿泊施設を展開し、2021年6月にはlyf Tenjin Fukuokaを福岡市に新たに開業させ、勢いに乗っている。
コロナ禍における日本とシンガポールの協力
現在、世界で猛威を振るっている新型コロナウイルス。日本とシンガポールはパンデミックにもパートナーとして立ち向かっている。
2020年5月には、日本の経済産業省大臣とシンガポールの貿易産業大臣が共同声明を発表。医療品や農産食物など必要不可欠な物資の貿易を維持し、物資貿易に関する流通を継続的に確保するために連携すると表明した。
さらに、茂木敏充外務大臣は2020年8月、新型コロナ発生後初めてシンガポールに閣僚級訪問を行った。バラクリシュナン外務大臣と会談し、今後の両国による往来の再開について話し合った。
両国の首脳も定期的に連絡を取り合っており、2021年5月の菅義偉首相とシンガポールのリー・シェンロン首相が電話会談では、菅首相が、新型コロナウイルスのワクチンの供給を途上国に広めるため6月に開催する「COVAX(コバックス)ワクチンサミット」への協力をリー首相に要求。リー首相からは、東日本大震災以降続いている日本産食品に対する輸入規制を完全に撤廃する方針との表明があった。さらに両首相は、インド太平洋地域の安全保障をめぐっても意見交換した。
二国間の経済協力も継続しており、最近では2021年3月に国土交通省とシンガポール行政機関のInfrastructure Asiaが覚書を締結。スマートシティなどの都市開発分野や道路、橋梁分野に関して、第三国へのインフラ展開を目的に、両国のインフラ関連企業の連携を深めているところだ。
また、2021年7月には、総務省とシンガポールの情報通信省が情報通信分野における協力を一層強化するために覚書を締結するなど、コロナ禍においても両国の長年にわたる揺るぎない関係はより強化されている。
経済面と同様に強固な文化的つながり
日本とシンガポールとは、人と人との交流も活発だ。日本のデザインや建築、生け花、アニメなどの文化は、多くのシンガポール人に受け入れられ、また、日本人もシンガポールの文化を称賛している。
その関係性は東日本大震災や東京オリンピック・パラリンピックの際にも至る所に表れ、東日本大震災のとき図書館の建設や奨学金の創設などシンガポールから多大な支援を受けた岩手県陸前高田市の市民は、今年開かれた東京オリンピック・パラリンピックでシンガポールの選手たちを懸命に応援した。
そんな両国間でももちろん現在はコロナ禍の影響で行き来が制限されている。しかし、制限が緩和され、いずれ観光が再開すれば、人々の交流は復活するだろう。
このように外交関係樹立から55年、日本とシンガポールでは友好的で協力的な関係が維持されている。今後もこの重要な絆を保ち強化させ、デジタル経済、気候変動の緩和、イノベーションといった共通の課題に取り組んでいくためにも、ともに歩み続けることが求められている。