独自のスタイルで経済を発展させてきた名古屋とシンガポール
名古屋とシンガポールこの二都の物語を語るうえでまず欠かせないのが、中部日本とシンガポールとの交流を推進する「中部シンガポール協会」が1989年から設置されている名古屋市は、かねて両地域の架け橋となってきたということ。そして同市は、両地域を結びながら、グローバルビジネスの一大拠点として成長を止めないシンガポールに学び、シンガポールとともに突出した経済発展を遂げてきたということだ。
事実、名古屋を含む愛知県は、都道府県内総生産で全国2位(出典:内閣府平成30年度県民経済計算)。対するシンガポールも、2021年の1人当たりGDPが9万7798SGD(約800万円)と堂々たるものだが、両都市とも独自路線を進むことで成功してきており、その点が大きく共通している。
例えば名古屋の場合だと、中部経済を牽引する自動車メーカー・トヨタ自動車が堅実経営で知られるように、手堅く経営する企業が多いとされている。バブル崩壊やリーマン・ショックなどの経済危機の際に、名古屋の企業は相対的にダメージが少なかったのは、名古屋の企業のこの傾向が幸いしたのではないかとも言われている。
一方シンガポールは、国土が狭く、資源にも乏しい都市国家だが、法人税率が17%と低く、85以上の国や地域と租税条約が結ばれているなど企業の経済活動を支援する税制となっていることから、外国企業が集積。その独自の政策は功を奏し、急成長への道筋となった。