50年以上の実績を持つ半導体材料技術をシンガポールで展開
人工知能(AI)や5G通信、自動運転など次世代技術の基盤となる半導体——その材料である「半導体材料」の開発に力を入れる東レは2022年6月、半導体など電子部品の材料の開発を促進することを主な目的に、シンガポールに「東レシンガポール研究センター(TSRC)」を開設した。東レの国外25カ所目の研究開発拠点だ。
拠点開設の経緯を、同センターのゼネラルマネージャーであり研究者の藤原健典氏はこう説明する。
「東レは、シンガポール政府の半導体およびエレクトロニクスの研究機関Institute of Microelectronics(IME)と2016年から共同研究を行ってきました。一方で、東レはシンガポールでずっと以前から、東南アジア地域の商事活動を統括する拠点『東レインターナショナルシンガポール』を運営していました。今回、研究開発拠点を設置したのはその東レインターナショナルシンガポールの敷地内で、IMEや現地大学との連携を強化することが主な目的です」
東レは半導体・電子部品向けの材料として1970年に「ポリイミド」をベースとした塗料を独自に開発し、この分野で50年以上の実績を持つ。高性能ポリマー素材であるポリイミドは耐熱性、耐薬品性、機械的強度などに優れた特性を持ち、半導体の小型化や性能の向上に寄与してきた。
2016年からIMEと取り組んできたのは、そのポリイミドに関するさらなる開発だった。IMEの設計・試作・評価技術と、東レの材料・プロセス技術を持ち寄り、ポリイミドを最先端の半導体のカバー、半導体パッケージの材料として使えるよう模索してきた。
充実したエレクトロニクスの産業基盤のもとコンセプト実証に成功
しかしなぜ、東レは異国のシンガポールで半導体材料の研究に取り組み始めたのか。藤原氏はこう振り返る。
「知人を介して、IMEが主催するコンソーシアムのことを知ったことがきっかけでした。シンガポールにはその当時から半導体の研究開発エコシステムが構築されていて、IMEのコンソーシアムには大学や研究機関、半導体の関連企業だけでなく、私たちの顧客である半導体を使用する最終製品メーカーも参画していました。つまり、顧客とのコラボレーションを通じて技術のニーズをいち早く知ることができる環境がそこにあったのです。そのうえ、コンソーシアムで優れた半導体を開発できれば、私たちの材料を顧客にPRする機会にもなるということで、コンソーシアムに加わることにしました」
シンガポールのエレクトロニクス産業はGDPの9%以上を占め、総生産高は1,020億米ドル(約16兆4,220億円)。半導体産業がその80%を占め、世界の半導体市場の11%のシェアを持ち、世界の半導体製造装置の20%がシンガポールで製造されている。
近年の動向として、例えばアメリカの半導体大手のグローバルファウンドリーズは2023年9月、シンガポールに工場の新棟を開設し、生産能力を大幅に増強させた。また、印刷大手でエレクトロニクス産業も手がけるTOPPANも生産能力拡大のため、シンガポールに半導体パッケージに関する新工場の建設を進めている。
これはシンガポール政府が半導体を含むエレクトロニクス分野の強化に力を入れ、重要な経済政策に位置づけてきた結果だ。具体的にシンガポール政府は、イノベーションやスタートアップ支援のほか、公共投資、インフラの整備を進め、産業の成長を支えてきた。IMEもその一環として設立され、シンガポール科学技術研究庁(A*STAR)傘下の組織として、企業と共同で半導体技術とマイクロエレクトロニクスの研究開発を積極的に推進してきた。
「TSRCはこれまでIMEのコンソーシアムに六つ参画し、私たちの技術が具体的な製品やサービスに落とし込めるということを検証するコンセプト実証にもいくつか成功しました。IMEのコンソーシアムの強みは、政府による明確な開発方針のもと世界中のさまざまな国の企業や組織と協力して研究を行えることです。その長所を生かして、グローバルスタンダードの材料を作りたい。そして半導体材料の世界市場でシェアを獲得したいと思っています」(藤原氏)
コンセプト実証に成功した技術としては、ポリイミドをベースに、高電圧や高温でも安定して使用できる次世代の半導体「SiCパワー半導体」向けの接着材料を開発した例があり、2025年の実用化を目指している。
また、同じくポリイミドをベースに新たな絶縁樹脂材料を開発し、半導体の高性能パッケージング技術の一つである「ハイブリッドボンディング」に活用する実証実験を進めており、これについては2028年の量産を目指している。
「IMEとの関係がなければ、ここに研究所をつくることはなかったかもしれない」というほどにIMEはTSRCにとって重要な存在であり、この連携により今後、東レの既存技術の展開や、新技術の開発が加速することが期待されている。
シンガポールはこのように、世界中のあらゆる規模の企業間でのコンソーシアムやパートナーシップを通じて、イノベーションを促進するためのさまざまな支援を提供している。最近ではIMEが8月に、東レをはじめ旭化成、富士フイルム、Rapidus、Marvell Technology、STATS ChipPAC、JCUなどの業界のリーダーで構成される新たなコンソーシアムを発表した。このコンソーシアムには、生成AIの未来に向けて、より高速で効率的なコンピューティングがこれまで以上に求められている現状に対応することが期待されている。
国際色豊かなステークホルダーとの協業により生み出される価値
東レのシンガポールでの研究活動はじつに活発だ。連携はIMEだけにとどまらず、シンガポール国立大学(NUS)とは、スマートフォンや車載センサーなどに利用される微小な部品「マイクロエレクトロメカニカルシステムズ(MEMS)」のパッケージの開発で協力している。
さらに、シンガポールやマレーシアを中心に、タイ、フィリピンなど東南アジア全域の、東レの顧客である最終製品メーカーに対して材料を提供。それを使用した製品開発に関してフィードバックを提供してもらうのも、TSRCの大きな役割だ。
「TSRCはフィードバックをもらうことに特化した研究所なのです。東南アジアの顧客との直接のコラボレーションでは、現地の技術動向や技術ニーズを把握できるので、その情報を、日本のラボに伝えています」(藤原氏) いわば“橋渡し”の役割を担うTSRCで現在活動するのは、藤原氏とシンガポール人のスタッフの2人だ。
「現地のスタッフを採用して1年半、これまで二人三脚でがんばってきました。半導体の専門知識は複雑で難しく、当初はわからないことも多かったと思います。でも熱心に勉強して、徐々に理解を深めていってくれました。いまでは100点満点の働きをしてくれていて、とてもありがたいです。TSRCのスタッフやIME、顧客も含めて、シンガポールにはスマートで、学術水準が高い人が多いと感じています」(藤原氏)
そうした人たちと協業する機会を得られることこそが、研究開発拠点をシンガポールに置く最大のメリットだと藤原氏は考えている。
「政府の支援もあって、こちらではステークホルダーとのコラボレーションがスムーズです。IMEのコンソーシアムに加え、電子パッケージング技術に関する国際的な会議『IEEE Electronics Packaging Technology Conference(EPTC)』などの大規模な学会も多数開かれ、専門家が知見を共有しています。そうした豊富な知識や経験を持つ人たちとのコラボレーションは、企業にとってまたとない成長の機会となります。研究者として私自身もいい刺激を受けることができていて、また生活環境もいいので、毎日が充実しています」
*1米ドル= 約161円(2024年7月1日時点)