大学卒業後は、日本の大手電機メーカーで社会人としての一歩を踏み出しましたが、そこでも、先輩達の優秀さには驚かされました。何より心に残っているのは、誰もが仕事に常に革新や改善を重ね、よりよい結果を追求しようとする姿勢です。私自身もその姿勢に学び、キャリアを通じて常によりよい結果を追求することを心がけてきました。
その後、日本で学んだことを活かしつつ、母国の産業政策の決定や経済発展の役に立ちたいと志し、EDBに入庁しましたが、公私に渡り日本に深い関わりを持ち続けて現在に至っています。過去30年間、私は日本の経済の変化を目の前で見て、両国の関係を肌で感じてきました。いま顧みると、私と日本との深い縁をつくづく感じると同時に、日本とシンガポールの経済関係の進化と共に自分のキャリアを積み重ねることができたことに心から感謝しています。
私が見てきた30年の間にも、両国の経済は変化し続けてきました。
来日当初、80年代の日本経済は強力な国内消費に牽引されて成長を続け、90年代にかけてバブル経済とその崩壊を迎えました。その後、EDB入庁後最初の赴任地である大阪では、日本の社会・経済に大きな衝撃を与えた阪神淡路大震災を経験しました。それら幾多の困難があってさえも、それらを乗り越え世界のステージで経済大国であり続けた日本の方々のスピリットには大きな感銘を受けました。
その間、シンガポール経済も同様に変化してきています。1970年代の労働集約型製造業から1990年代の資本集約型のハイテク産業への移行、そして2000年代からのイノベーション集約型の産業による新たな成長機会の模索と、世界でも「奇跡の経済」と呼ばれるほどの成長を遂げてきました。これら成長の背景には、シンガポールに拠点を開き、知識や技能を共有し、長年貢献いただいた多くの日本企業があります。そして我々シンガポールは、そういった日本企業の方々によりよいインフラや、人材や、多国語を話す労働力、そしてアジア地域から世界へと展開するアジアの拠点を提供してきました。
現在も、50年に渡る両国の良好な関係は様々な数字に表れています。今日、シンガポールに拠点を構える日本企業の数は2,800社を超え、また、2016年度における日本企業によるシンガポールへの固定資産投資額は、7億Sドルとなり、両国の経済の結びつきはますます強まっています。この関係が将来はさらに発展していくことに私は強い確信を持っています。
次なる50年に向けて、シンガポールはビジネスの場として、これまで以上に日本企業の方々のお役に立てると考えています。今やシンガポールには様々なイノベーション要素と技能を持った人材が揃っており、先端製造業、特に高付加価値製造や最先端テクノロジー導入による高効率化を目指す製造業にとっては、理想的なビジネスロケーションと言えます。また、今後の成長を追求する日本企業にとって、共創イノベーションの機会を生み出す世界トップクラスの研究機関や世界レベルの企業が集う強い経済システムのあるシンガポールは、ASEAN地区の統括機能や研究開発機能に最適です。
過去50年間積み上げてきた互恵発展と信頼関係の強固な基盤に加え、価値創造とイノベーションに共に取り組み、次の50年のさらなる経済発展を共に目指してゆける。私たちEDB、そして私自身も、シンガポールが日本のみなさまにとって、次なる経済発展の「布石」となれるよう、積極的な役割を果たせることを祈っております。